大航海時代の資金の基盤は直接的にも間接的にもハプスブルク家の財力に拠るところとなります。 ハプスブルク家は商人ですが、国家の予算を遥かにしのぐ莫大な富をもち、それを背景に当時のドイツ、フランス国などに政治力だけなく、中世ヨーロッパ文化の発展にも多大な影響力を持って、豪勢なバロック・ロココ文化を開いた立役者だそうです。
その先鋒となった大航海時代の黎明期は、15世紀頃から商業が栄えて国力が高かったスペイン、ポルトガルが中心に始まりました。 両国は、さらに力を得るために新大陸の黄金卿エルドラド伝説の実現、極東アジアの黄金の国(東方見聞録)への航路の開拓を目指していました。アメリカ新大陸の発見は、ジパングへの航路を開拓しようとして、つい発見してしまったことと伝えられています。でも、その新大陸も、実は北欧のバイキングがすでに交易していたという史実もあるようですが。
15世紀頃の大航海時代を迎えるまでは、波が穏やかな地中海や、北海、バルト海の沿岸で機動性を発揮していた戦闘用の船、ガレイ船(全長20mくらいまでで細長く、喫水が浅く、奴隷に櫂を握らせて風の無いときにも進めた)が主に使われていたようです。
大航海時代になって長期にわたる航海ができ、大洋の荒波に沈まないように発展した大型のずんぐりむっくりのカラック船(全長は50m、排水量も1000tonを超えるものに発達していきました。 新大陸発見(一応、コロンブス(サンタ・マリア号、100ton)となっているが、北欧の海賊達(ビッケ)は既に交易していたとする説も有力)や、マジェラン海峡迂回で世界一周(ビクトリア号)、希望峰を最初に回ってインド洋に達した船はこれらです。
海路が定まると物資の大量輸送化、高速化が勝負となり、船体はさらに大型化、スリム化されて、帆船の黄金時代が到来しました。これは、産業革命で蒸気機関が船舶の動力に応用されていく19世紀まで続きました。 帆船の黄金時代は、商船のみならず、各国戦艦の華やかさを彩るものでした。国力を誇示するために、艦橋は高くなり、周りには豪華な彫刻が施され、船首には航海の安全を祈るための彫刻(フィギュア・ヘッド)が付きました。
有名な例として、フランス艦隊のソレイユ・ロワイヤルがあります。このような豪華な艦船は、船に搭載された大砲の性能向上とともに、標的にしかならないことから次第に目立たないように大人しく、機能的になっていきました。 その代表例がイギリスのビクトリー号、キール長45m、カノン砲を120基も備えておきながら装飾を廃したため豪華さは無くなった船です。 ナポレオン1世とトラファルガーの戦いで、ネルソン艦隊司令長官が乗船した1等軍艦です。
帆船模型マニアでは、このころの豪華で複雑な大型戦列艦こそ避けて通れぬ題材ですね。
これらの船は残念ながらラジコンで操船するには難しそうです。 帆が小さく数が多くなって帆の効率が落ちるので、模型では帆走性能は悪くなるでしょうね。
ちなみに、なぜ実艇にはあんなに多くの帆があるかというと、羽布の引張り強度に限界があって、帆の一枚の大きさに限界がくるので、排水量が100tonを超え1000tonも超える船には帆の数を増やすしか手が無かったからだそうです。
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シゲちゃん |