by Balloon Taster
「先輩、何か御用ですか?」
珠美が教室に入ってくる。
「ああ、すまない。ちょっと手伝ってほしいことがあって。」
彼女は体育会女子庭球部の1回生、地方都市出身の、体育会でテニスをやるには小柄だが、可愛い子だ。
「実行委員会から、ここを早く片付けるように言われてさ。」
昨日までの学園祭では教室を一つ借りてバザーをやったのだが、その片付けをしなくてはならない。
「そこんとこの飾りを片づけてくれないかな?」
飾りつけの風船が浮かんでいるあたりをざっと指差す。 風船は数日経って酸化が進み、表面も曇ってきているが、さっき、活きの良い大き目のをいくつか加えておいた。そう、このために。
「この風船もですか?」
聞き逃したふりをして聞き返す。 「うん?」
「このふうせんも、ですか?」
「そうそう。」
そう、その風船を君に割って欲しいんだ・・・。珠美はリボンをほどいて 5,6個の風船を自由にしてみたが、リボンを手に持って困ったような顔をしている。
「先輩・・・?」しばらくしてから、事務的に言う。
「ごめん、早くしてくれないかな?」
「あのう、この風船・・・どうすればいいのですか?」
「だから片づけてって。」
「・・・割るんですか?」
「うん?」
「あの・・・割っちゃうんですか?」
「そうだろうね。」
「私が、・・・です・・・か・・・?」
「うん。俺はこの重いボンベを運び出すから、早 く頼むね。そこにハサミがあるから。」
珠美はハサミを手にしたものの、どうして良いかわからない様子だ。そうだよ、風船を脇に抱え、左手で結び目のところを引っ張って、そこにハサミを入れると、大きな音をたてること もな く片付けできる。でも、そんなことは絶対に教えてやらない。
「あのさあ・・・」
珠美に近づき、ハサミを取り上げると、浮かんでいる風船をつかみ、その真ん中に突き立てる。バン、と音がし、珠美はびっくりして首をすくめる。前髪が割れた風圧で揺れる。
「あ、ごめんごめん、ちょっと顔に近かったかな?」
珠美は動揺し、固まってしまった。 割れたゴムが髪についているが、気づくまでそのままにしておこう。
「大丈夫、痛くないから。一回やったら馴れるから・・・」
珠美はハサミを受け取り、小さめ目の風船に狙いをさだめ、息を溜めて「えい!」と突き刺す。風船は逃げて割れない。
またしばらく一人にしておいて、珠美には聞こえない程度につぶやく。
「体で割ってもいいんだよ。」
「えっ?」
「いや、何でもない。」
またしばらく して、
「それを全部割ったら、ご褒美に珠美を割ってあげる。」
「えっ?」
もう十分ハラスメントだよな、と思っているうちに邪魔が入った。
-----「珠美さん、ミーティ ングをするから部室に戻ってくれる?」
怜子の声だ。珠美は救われた、というふうに怜子にハサミを手渡し、部屋から出て行く。
「ちょっと? うちの部員にヘンなことさせたら承知しないわよ?」
・・・いつからこの部屋に居たんだ?スラリと伸びた長い脚、引き締まった唇、そして冷 ややかな切れ長の目。俺たちは学部は違うが3回生、4回生は就職活動が忙しくなるため、代々部長は3回生が務めることになっている。怜子は女子部長、俺は男子の部長。仲良し系の サークルと違い、体育会は入部からの年季がモノをいう。1日でも入部が早ければ、学年は同じでも、例え年齢は上下があっても、先輩になるということだ。 まるで祖父から話に聞いた軍隊みたいだ。怜子と俺は入学式当日の説明会に参加し、その 日に入部した「同期」だ。俺にタメ口を使う女子部員も怜子だけだ。
珠美は2年後輩。体育会 の 先輩だからといって後輩に何をしても良いわけではない。それは分かっている。で も、俺 の珠美に対する感情は、これは・・・何なのだろう・・・
「ふうん、部長さん自ら後片付けを?大変なのね・・・?」
怜子の声で現実に引き戻される。
「何?これを片付けるの?パンクさせればいいの?」
・・・いやいや、いいんだ、とハサミを奪い取る。「パンク」なんて萎える言葉を使う貴君に頼もうとは思わない。
でも、美形だしクールだし、 ポッパーの素質はありそうだけどね、と、唇を尖らせ浮かんだ風船を指でツンツン突いている怜子の横顔を盗み見る。
-----学園祭の打ち上げ。 男女の部員がそろって盛り上がる。風船ゲームを仕込んでおいた。くじに当たった子は、風船を膨らませ、自分で指名した男子と体 に挟んで割る、というゲームだ。自分で指名した相手ならセクハラにはなるまい?ぎりぎりのところだけど。あろうことか、珠美がくじに当たって し まった。おそるおそる、集団の輪の真ん中で膨らまし始める。もっと大きく、もっと大きく、と囃したてられ、目をつぶって必死で洋ナシ状になる まで膨らます。
俺はそんな珠美を見ていた。そして、怜子と目が合った。青いベストを着、壁にもたれて腕を組み、顔をこちらに向け、いつもの冷やかな目で俺を見ている。目が怒っているよう にも見える。いや、仕込んだんじゃないって。こちらも目で返答する。珠美は風船を膨らまし終わると、少し呼吸を整え、俺とも目が合ったが、結局同級生の男子部員をはずかしそうに指差し、二人で割りにかかった。男の腰 が引けているのでそんなことでは割れる訳ないさ。モノは16インチだぜ?一気に、女の子の体に腕を回して思いっきりやるんだって!と、心の中 で思いつつ、周りから囃したてられている珠美を見ながら、俺は嫉妬を感じていた。怜子 はもうその場に居なかった。
-----ふう、コトが終わって飛び散ったピンクの破片を見る。ごめん、激しくしすぎたかもしれないね。この年齢の男として、他人と同じ程度のことは経験しているつもりだ が、この性癖だけは他人に知られるわけにはいかない。学園祭の準備でヘリウム風船を膨らませていた時も、珠美は両手で耳を覆い、 顔をそむけていたよね。そんなに風船が怖いかい?でも、ヘリウム風船持ったら似合うと思うんだ。そんな君だからこそ、あの風船を割って・・・ 片づけて欲しかったんだけどな・・・。邪魔が入ってしまったけど。
でも、珠美のことを想っている頭 の片隅に、どうして時々怜子が浮かぶのだろう。珠美とデートして、食事をしたり映画を 見ていても、あの目に、ずっと監視されているような気がするのだが・・・気のせいだろうか・・・。
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体が鈍らないよう。最低週に1回はジムに行くことにしている。一通りメニューをこな し、プールサイドで休む。水面の乱反射を見ていると、脳裏に、また怜子が浮かんでくる。部の飲み会で酔っ払い、「なんじゃその目は?ハサ ミで切ったごたる!」と言い、頭をはたかれたあの切れ長の目が・・・。
「サボってちゃ駄目よ、部長さん。」
ビクリとする。怜子の声だ。
「別にサボってなんかいないさ。」視線を上げずに答える。
「あの子とは上手くいってるの?」
どうしてコイツはいつも、こうスバスバ、俺のプライベートの話をしてくるのだろう?
「別にどうもなってないって。」すこし苛立って顔をあげて答える。首にタオルをかけ、ブルーのスイムスーツに身を包んだ怜子が立ってい る。
「どう?・・・似合う?」
半身のポーズを取り、それでも少し恥じらいながら俺を見下ろす。
青のスイムキャップに目が行き、「いよう、青海坊主!」と言ってしまい、背中に怜子の蹴りを食らう。
「すまんすまん。・・・いいんじゃない?」
「・・・ありがと。じゃ、おつかれさま・・・」。怜子の後ろ姿を見送っていると、想いが浮かんでくる。青い大きな風船・・・。体が熱くなる。24インチぐらいかな?割ったら、きっともの すごい手応えと大きな音がするだろう な・・・俺は強く頭を振り、妄想を振り払う。いやいや駄目駄目だ。浮気なんかしたら。
(「デリバリー」に続く)