私とスピットファイア
(Spitfire MK.IX 制作記)
2004年7月18日更新
スピットファイア制作記 その1 キットを買う
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尾翼の製作@、A
主翼の製作@
引込脚の改造「私とスピットファイア」
いくら私がパイロットだからといって、さすがにスピットファイアは乗ったことがありません。(笑)
私とスピットファイアの出会いは、もう30年近く前、私が中学生の頃に遡ります。
ラジコンを飛ばしているグループがあるというので、友人から誘われ見に行きました。自宅から自転車で1時間以上かかる造成地でした。当時は、難しいボタン打ちの送信機に変わって、やっとプロポーショナル方式の無線機が一般的になり、ラジコン機も自由に飛ぶようになった時代でした。しかしその価格はとてつもなく高く、双葉の4チャンネル・プロポが当時の価格で15万ほど。大学卒の初任給でも及ばない程で、とても中学生の私に手が届くものではありませんでした。
しかしその信頼性はまだ十分でなく、高価な飛行機が1日のうちに必ず1機や2機は落ちるところを見ました。
それでもみんなジェット機タイプの機体やスケール・モデルなど、いろいろな機体を持ち寄り、とても楽しそうにフライトしたのが印象的でした。そんなときに見たのが、スピットファイアのスケールモデルだったのです。
今で言えば60クラスぐらいでしょうか、翼長2メートル弱、渋い迷彩に塗られたその機体は、その日飛行場に集まった全員から注目の的でした。
その日初のお披露目というその機体は、エンジンテストも快調。いよいよこれからフライトかと思われたその時、スピットファイアのオーナーは言いました。「いや、この飛行機は飛ばしません。メカがどうも調子悪いのです」と。
でもみんなは諦めません。無線機は地上でテストしてみるとちゃんと動きます。
無責任なギャラリーは、「飛ばせ、飛ばせ」の繰り返しです。その声に根負けしたか、オーナーはやっとスピットファイアを飛ばす気になりました。
エンジンがかかり、助手の手を離れたスピットファイアは力強く加速を開始しました。みんな固唾をのんで見守ります。浮揚! 拍手がわいたその直後、スピットファイアは右に、左に大きくバンクをとりながら、地面に向かって真っ逆様!
何とか体勢を立て直して一度は飛行場上空を通過しましたが、オーナーの必死の操縦にもかかわらず、機体はどんどん小さくなります。遠くの土手の向こうに消えたかと思った次の瞬間、「ばんっ」という聞きたくない音が小さく響いてきました。皆一斉にその方向に駆け出しました。機体は粉々でした。
原因がメカトラブルにあったのか、機体の不備や調整不良にあったのかはわかりませんでした。
「しょうがない、また作るさ!」というオーナーの一言が印象的でした。時は流れて、約5年ほど前のこと。
友人が制作したスピットファイアの初飛行を頼まれてしまいました。
ROYAL社のキットで、翼長2m50cm、120クラスのスーパーチャージャーエンジンを積んでいます。
機体はちょっと重く、アンダーパワー気味でした。重心が後方過ぎて問題であると思いましたが、どうしてもと言う友人の声と、ギャラリーの声援に負け、フライトすることになりました。友人のスピットファイアは思いのほか低速で離陸しました。しかしパワーがなく、速度も、高度も取れません。速度が遅いせいか、方向安定に問題がありました。真っ直ぐ飛行することさえ出来ないのです。遠くに行かないように旋回させるのですが、バンクをとると機速が落ち、いつまでたってもふらふらです。いつかのスピットファイアの墜落シーンが脳裏に浮かんできました。
いつまでも頑張っていても危険です。機体を降ろすことにしました。
滑走路にアライン出来ないので、飛行場脇の草地に軟着陸させます。パワーを絞ると、機体はさらに不安定になり、緩やかに左旋回しながら背の高い葦の向こうに消えました。幸い、大きな損傷無く、機体を回収することが出来ました。
しかし、カウリングからはみ出す大きいエンジンは積みたくない、重りを積んで重心を合わせるのも限界、ということで、そのスピットファイアはもう二度と飛ぶことはなかったのです。スピットファイア、その優美な楕円翼、女性的なライン。
いつか私の手で、スピットファイアを華麗に、ダイナミックに大空を舞わせてやろうと決心したのでした。